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菊池川流域日本遺産 米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~

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菊池川流域日本遺産 構成文化財

肥後四位官郭公墓

振倉謝公墳

吉利支丹墓碑

構成文化財の名称 菊池川(きくちがわ)の中世河口港関連遺跡群(ちゅうせいかこうこうかんれんいせきぐん)
指定等の状況 未指定
ストーリーの中の位置づけ 中世に安定した統治を行い、米作りの発展に寄与した菊池一族は、右岸の高瀬と左岸の伊倉を整備し、海外貿易の拠点とした。伊倉(いくら)には、紀年銘が明らかな中国人墓としては日本最古の「肥後四位官郭公墓(ひごしいかんかくこうぼ)」や、吉利支丹墓碑など国際色豊かな史跡が残る。
文化財の所在 TAMANA

構成文化財の所在地

箇所が特定できない文化財については、大まかな位置を示しています。

構成文化財の名称 概要
吉利支丹墓碑 吉利支丹墓碑は、金峰山系から北西に伸びる山裾の一つで振倉謝公墳のある本堂山から一つ南の丘陵上の墓地の中に安置されています。墓石は、安山岩で造られ、形状はかまぼこ形をしており、正面には十字が刻んであります。この墓は16世紀中ごろのものと推定されますが詳細はわかっていません。被葬者に関しても資料が残っていないため不明ですが、永禄9年(1566)にポルトガルの宣教師であるアルメイダが玉名の高瀬においてキリスト教を布教したとあり、この当時に布教活動を行っていた宣教師の墓である可能性が考えられます。
 江戸時代初期には伊倉にも多くのキリスト教信者がおり、長崎吉利支丹奉行、肥後藩奉行、郡奉行等から捜索を受ける大事件もありました。このような時代背景から、当時の信者は、隠れキリシタンとして密かに信仰を続けていたといわれています。この吉利支丹墓碑は、明治年間に土の中から掘り出されたといわれており、密かに信仰を続けていた状況と何か関係があるのかもしれません。
明人林均吾墓  明人林均吾(みんじんきんりんご)墓は、金峰山系から北西に伸びる尾根筋の先端部にあるミカン畑の中にあります。墓は、中国福建省南部にある中国墓の様式と共通性が見られ、伊倉町にある肥後四位官郭公墓と形態がよく似ています。平成21年に測量調査を実施し、現況の記録(地形測量など)をしました。墓には墓碑が残されており、そこには出身地を表す「龍郡」及び「元和七年 林均吾墓 男新作」と書かれていました。これは林均吾の子が元和7年にこの墓を造ったことを示しています。
 慶長9年~12年(1604~1607)の間に5回、渡海朱印状を得て、マカオ、フィリピン、ベトナムなど広域に交易をしていた林三官という人物がおり、林均吾はその一族と考えられます。「三官」という地名は玉名市伊倉町に見られ、熊本市河内町にも「三官屋敷」という地名があったといわれることから、林三官一族は河内及び伊倉地域を本拠地として活動していたと考えられます。
振倉謝公墳  振倉謝公墳(しんそうしゃこうふん)は、金峰山系から北西に伸びる山裾の一つに「本堂山」(ほんどやま)と呼ばれる小丘陵に位置しています。この本堂山の小丘陵全体が、中世寺院の報恩寺跡地であり、宇佐一族の逆修塔(五輪塔群)が残るなど古くから墓所として利用されていた場所でした。その丘陵西側に振倉謝公墳が造られ、「大明振倉謝公墳」と刻まれた墓石も残っています。この振倉謝公墳は、昭和51年に振倉謝公墳を含む本堂山遺跡(現在の遺跡名は報恩寺跡)の発掘調査が実施され、振倉謝公墳の詳細が初めて明らかとなりました。
 振倉謝公墳は、漆喰製の屋蓋(おくがい:フタのこと)と棺郭(かんかく:ひつぎのこと)で構成されており、棺郭内では人骨が1体分発見されました。また鉄くぎが発見されたことからこの人骨は木棺に納められていたと想定されます。また、現在の外観は、同時期の唐人墓を参考に発掘調査後に復元されたものです。
 振倉謝公墳は、肥後四位官郭公墓や明人林均吾墓といった近隣の唐人墓と共に、当地の近世初期における国際的、経済上の役割と位置を明示すると共に、貿易に従事した明人の活躍を示す学術上貴重な文化財です。

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