2025年05月19日 NEW
お知らせ菊池川流域の条里跡、区画割
TAMANA YAMAGA8 世紀ごろに1 辺約109 m 四方1ha(10,000 ㎡)に田が区画された。現 在もその区画が残り、米作りが…
旧玉名干拓施設
TAMANA江戸時代初期の熊本藩主、加藤清正によって本格的に始められた以降、連綿と続けられた干拓の遺構が残…
菊池の松囃子
KIKUCHI中世に安定した統治を行い米作りの発展に寄与した菊池氏が、懐良親王 (かねながしんのう)を迎え年…
正観寺・菊池五山
KIKUCHI中世に開発をすすめた菊池氏の文化の繁栄を偲ばせる寺社。正観寺(しょ うかんじ)は15 代武光の菩提…
菊池川下流域の船着場と港町
TAMANA江戸時代に米の積み出しで栄えた高瀬や大浜などの港町があり、高瀬、晒 (さらし)、千田川原(せん…
玉祥寺このみや踊り
KIKUCHI五穀豊穣と地域の安全を願う例祭での踊り。御大将2 名の前で、化粧をし て女装した男性が太鼓をたた…
菊池川流域には山間から平地、海辺に至るまで、先人たちが知恵を絞り、川の恵みを活かしながら米作りを営んできた足跡が今なお姿を留めており、その全てをコンパクトな範囲で見ることができます。このことから、菊池川流域地域は全国各地で行われている米作り文化の縮図であるとして、“米作り、二千年にわたる大地の記憶 ~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~”というテーマで文化庁から日本遺産に認定されています。
再生時間 3:44