構成文化財の名称 | |
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指定等の状況 | 未指定 |
ストーリーの中の位置づけ | 菊池市内に伝わる米作りの農耕儀礼。風よけのため簑(みの)と笠(かさ)を 田に飾る風鎮祭(ふうちんさい)、苗の活着のため土で仏像を固める土阿弥 陀(つちあみだ)、農耕馬の健康祈願のための馬作り(うまつくり)。 |
文化財の所在 | KIKUCHI |
箇所が特定できない文化財については、大まかな位置を示しています。
構成文化財の名称 | 概要 |
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龍門の初馬売り | 迫間川上流の中片川の集落では、1月14日(旧正月)に行うことが昔からの決まりごとでした。14日の夜に男の子たちが集落をまわり、お盆に馬を載せて「馬売りに来た」と言って子どもたちが各家に売りに回ります。馬はお菓子や餅、ミカンなどと交換します。各家で飼っている牛馬の一年間の無病息災を祈るという意味があり、各家庭では節分まで神棚や床の間に飾り、その後は川に流したり、実のなる木の枝(柿の木など)にかけたりします。 耕運機やトラクターが普及するまでの戦後しばらくの間まで、田畑を耕すために牛馬が使われており、牛馬の一年間の労をねぎらい、また無事息災を願っておこなわれていた行事で、県内でも散見された行事でしたが、姿を消しつつあります。基本的に子どもが作り手でしたが、近年は少子化のため大人と一緒に作っていたりもします。古来より馬は神霊の乗り物とする信仰があり、ウマウリ・ウマツクリのワラ馬には牛馬の健康や安全を願うだけでなく、年神様を迎え送るという意味もあるのかもしれません。 |
前川地区の馬作り | 毎年1月2日から4日にかけて(現在は12月末頃)菊池川左岸の七城町前川区の子ども達は子ども頭の家に集まります。子ども頭の指示で馬つくりの作業を始めます。新しいワラをすぐり、手を清めてワラで馬体を作ります。次にワラで小さな縄(銭縄)を10本つくります。その小さな縄に昔は1文銭を10枚つけ、その小さな縄を馬の口にかませていました。それとは別に大根を切って作った小さな台に松・竹・梅の小枝をさしたものを作り馬と一緒に各戸に配布します。配布すると各戸から餅をもらい、その餅で子ども頭の家でぜんざいを作り、みんなでぜんざいの会食をします。 耕運機やトラクターが普及するまでの戦後しばらくの間まで、田畑を耕すために牛馬が使われており、牛馬の一年間の労をねぎらい、また無事息災を願っておこなわれていた行事で、県内でも散見された行事でしたが、姿を消しつつあります。基本的に子どもが作り手でしたが、近年は少子化のため大人と一緒に作っていたりもします。古来より馬は神霊の乗り物とする信仰があり、ウマウリ・ウマツクリのワラ馬には牛馬の健康や安全を願うだけでなく、年神様を迎え送るという意味もあるのかもしれません。 |
今村の土阿弥陀 | 菊池川左岸、今区の戸崎城跡のあるのぼり口に土阿弥陀堂はあります。建立年月は不明ですが、文化12年(1815年)の記名石があり、それより以前から村の人々の尊崇を受けていたと考えられます。 毎年12月14日の祭りの日は、田畑の泥土をもって上塗りするともいわれ、いわば豊作の神ともいえるようです。平常、村の老人会や婦人会の手によって境内は掃き清められています。 土阿弥陀堂は「菊池遺産」指定の地域遺産。 |
赤星地区の風鎮祭 | 風鎮祭とは、台風で農作物に被害が出ないように、皆が病気をせず実りある秋を迎えられるように祈願するお祭りです。 菊池川左岸に赤星は位置し、ここでは笠(かさ)と蓑(みの)に対し神職のお祓いを行ったあと、上赤星、下赤星それぞれの集落の辻口4か所に立てられます。 現在の雨合羽(レインコート)の役割を持ち、雨風をよけるためのものであることから、時節柄台風から集落や稲をはじめとする農作物を守るために立てられていると考えられます。また、「防ぐ、除ける」ことから転じて、様々な災いや疫病などから集落を守る願いも込められて奉納されています。 8月下旬の日曜日に赤星菅原神社で行われています。 |