米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~
	| 構成文化財の名称 | |
|---|---|
| 指定等の状況 | 未指定 | 
| ストーリーの中の位置づけ | 街道と菊池川の船着場が交差した山鹿湯町は、江戸時代以降物流の拠点としても繁栄した。今も土蔵造りの建物が並び、往時の繁栄を偲ばせる。米を使った菓子屋、酒造会社、麹屋(こうじや)など歴史のある商店が軒を連ねる。 | 
| 文化財の所在 | YAMAGA | 
箇所が特定できない文化財については、大まかな位置を示しています。
| 構成文化財の名称 | 概要 | 
|---|---|
| 山鹿湯町 |  豊前街道は肥後から小倉へ至るみちのりで、近世の参勤交代路として利用されていました。豊前街道以外にも、菊池往還や八女福島までの兼松往還といった街道が集まっていたのが、湯町と呼ばれた旧山鹿町です。湯町は山鹿郡の政治・経済や文化の中心地として、また豊前街道の宿場町として繁栄しました。 江戸時代、山鹿・菊池地方の米は、関西地方で寿司米として重用されていました。このため山鹿湯町は、菊池川の水運を利用して高瀬町(玉名)へ米を輸送する中継点として、重要な役割を果たすようになりました。米以外にも様々な物資が船で運搬されたことから商業活動が活発になって、豊前街道は多くの人々が行きかいました。現在でも豊前街道界隈には往時のたたずまいを残す建物が残り、歴史的な雰囲気を感じることができます。  |