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菊池川流域日本遺産 米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~

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菊池川流域日本遺産 構成文化財

くんば

関連遺跡の名称 赤星舟着場(あかほしふなつきば)
所在地 菊池市赤星
時代 古代~明治
説明  菊池氏初代の則隆が築造したと言われている北宮館跡のある北宮地区と菊池川を挟んだ対岸に、赤星舟着場がありました。舟運が当時の交通手段としては最も有効なもので、居館の立地場所が菊池川に面していたと考えられます。菊池川は、近世に玉名の高瀬港から大坂堂島市場へ積み出された大量の米の量でもわかるように交通・輸送の大動脈でした。明治の中頃まで菊池川上流には赤星、村田それに七城の高島、加恵、橋田、甲佐町などに舟着場がありました。
 赤星の舟着場は現在「船場」という地名だけ残されていますが、そこには「くんば」とよぶ第6までの舟着場までの小道があって栄えたといいます。菊池川河口には玉名の高瀬、伊倉の港がありますが、中世には菊池氏が高瀬辺りを支配していました。無官の菊池武房が虎の尾の尻鞘を身に着けた姿で「蒙古襲来絵詞」に描かれていますが、当時虎の尾は入手困難であり、高位者だけに許されたものだと考えられます。虎の尾の尻鞘を着けることができた背景には、舟運を活かして、宋・明との間で交易を盛んに行っていたと考えられ、菊池氏の経済力は非常に高かったと思われます。
関連HP等URL
アクセス 市役所より車で約8分
駐車場 無
見学 無
問合せ先 菊池市文化課 0968-41-7515 bunka@city.kikuchi.lg.jp
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