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菊池川流域日本遺産 米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~

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菊池川流域日本遺産 構成文化財

古川兵戸井手看板

古川兵戸井手

古川兵戸井手

関連遺跡の名称 古川兵戸井手(ふるかわひょうどいで)
所在地 菊池市
時代 1816年(文化13年)築造
説明  東迫間(ひがしはざま)・戸豊水(とりゅうず)・赤星の3つの村を兼任した庄屋平山八左衛門(ひらやまはちざえもん)は、土木工事にかけて菊池を代表する人でした。
 文化13年(1816年)に完成した平野井手は原井手の農民から厳しい条件(飲み水が主でその余りの水で畑をまかなう等)がつけられていました。2年後に今までにない大干ばつにみまわれたことから、新たに大分県の上津江村の兵藤谷を水源とする川原川の水を堰き止めて、トンネルを掘って戸豊水・平野地域の水田に水を引くという計画が立てられました。八左衛門の日記風の記録には、文政5年8月末に隈府を出立し、日田代官(当時幕領であったため幕府の許可を得る必要がありました)に井手開設の願書を出しに行き、9月まで頼み込んだという詳細が伝えられています。5年後の文政10年(1827年)9月に開設の許可がおりています。
 文政10年に起工し、村民は20数キロ離れた兵藤山に山小屋を建て、昼も夜も工事に取り掛かりました。岩は花崗岩のため硬く、石積みや漆喰の補強をしながら、苦難の工事を6年間続け、天保4年(1833年)、通水に成功します。水量が充分ではなかったため、井手の修理と馬見野堤の改修に更に2年を費やし、天保6年(1835年)に完成し、およそ183町の水田に水が行きわたるようになりました。
 現在でも古川兵戸井手は、国土交通省が新たに造った菊池川の立門揚水場から台地に水を送り続けています。 総延長:約19km
関連HP等URL
アクセス 市役所から車で7分
駐車場 無
見学 常時可。看板有
問合せ先 菊池市文化課 0968-41-7515 bunka@city.kikuchi.lg.jp
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菊池川流域日本遺産米作り、二千年にわたる大地の記憶~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~

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